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執筆者の写真椎名市衛

仰ぎみる剣の道3

教えの道


不審な稽古

東京を中心に、稽古に明け暮れ、様々な先生方の教えを得て、怖いものが無くなった青年時代。自分ほど強い者はいないと、思い上がった時期のことだった。郷里の稽古で、久しぶりに、後に師となる、北辰一刀流第6代師範・谷島三郎先生に、お稽古をいただいた。

谷島先生は、古武士然とした方で、剣道は、戦前最大の道場「皇道義会・東京東武館」の内弟子となって鍛え上げた人だった。その強さは、全剣連初代会長・木村篤太郎が、戦後、自社の剣道師範に招いたことから推察できよう。また、先生は、「薙刀の谷島」として東都に敵なしで、女傑・園部秀雄先生の側近として、「皇道義会・直心影流薙刀部」の指導もなさった。「剣も薙刀も、その特性を利用して使えばいいのだ。」とおっしゃった。しかし、その頃は、そんなことは、一切知らなかった。

「田舎の剣士に、どれほどのことがある。」思い上っている私は、果敢に打ち込む。良い所が入っていたと思った。意気揚々と引き上げる帰り道、ふと、心に不審が湧いた。それは、先月号の表紙・堀口清先生や今月号の表紙・小川忠太郎先生に、お稽古をいただいた後の感じに似ていた。打つには打ったと思ったが、どうにも腑に落ちないのだ。

そのことを、親のように敬愛する初学の師・武田治衛先生に話した。谷島先生は、武田先生の竜ケ崎中学剣道部の2つ先輩だった。「先生、谷島先生は、東京の先生方より、強いかもしれないと思いました。」「谷島さんのは、ここらにない稽古だ。3段までは私でいいが、4段以上の者は、谷島さんに掛かかるといいな。」(やはり!)それから、私の“谷島詣出”が始まった。

谷島三郎先生の教え

-数ヵ月後のある日、稽古が終わって、谷島先生に突如呼ばれた。「椎名、暇あるか?」先生は寡黙で、いままで会話がほとんどなかったので、私は大変驚いた。一大事発生!即座に「はい暇です」「これから、家へ来い」私の心は騒いだ。何か分からないけど、お宅へお邪魔した。

先生自ら、お茶を淹れてくださった。二人とも無言のまま、長い時間が過ぎていく・・何が起きるか、ドキドキしている。先生が俄かに立って文箱を持って来られた。「これは、国学院の岡田一男さん(教授・剣道家)に頼まれて、中条流剣術について書いたものだ」(読みたい)「私のは、手が震えるから字が見にくい。清書してくれ。」(やった!じっくり読めるぞ)

私は悪筆なので、苦心惨憺。徹夜で仕上げて、翌日持参した。もちろん控えは取った。「先生、これで宜しいでしょうか」「ん」谷島先生、私の労作を見もしないで、文箱へポイと投げ込んだ。(アッ、やられた)

宮大工・西岡常吉の教え

薬師寺西塔を作った宮大工・西岡常吉さんの所へ、高卒の小川国夫さんが弟子入りに来た日、やらせたのが仕事場の掃除だった。プロの仕事場だから、きれいに片付いている。敢えて、掃除をさせた西岡さんには、深い考えがあった。掃除すれば、必ず道具箱を見る。道具をどのように準備しているか、それを見させたかったのだ。案の定、小川さん、塵ひとつない仕事場掃除に、何時間も費やしたという。

谷島先生は、清書という名目で、それとなく私に学ばせたいものがあったのだ。直言せず、それとなく学ばせる。師の、思いの深さに、心が痺れた。仰ぎみる剣の道は、かすかな香りで、私を誘ってくれてた。

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