人呼んで【武田流】
私が、中学生になって初めて竹刀を握ったとき、指導して下さったのは、学校の先生ではなく、お百姓している、武田治衛という小柄な先生でした。先生の剣道指導は、他の道場や学校とは異なっていたので、当時、近隣の剣道指導者からは【武田流】と呼ばれていました。
生徒の頃は、そのようなものだと、別に不思議とは、思っていませんでしたが、今考えると、非常に珍しいことで、先生が、一流一派を立てたように、周りから思われていたことが分かりました。
先生は、決して自己宣伝するような、自惚れ屋ではなく、謙遜的で温和な人でしたから、「武田流」の名称は、周囲が勝手に付けたもので、それは、先生の、特別な剣道観を感じた人たちが、言い表したものだといえるでしょう。
剣道の参考になると思うので、数回に分けて、武田先生の剣道について、書いてみたいと思います。
掛かり稽古で試合する
先生の剣道の特徴は、面打ちに対する解釈が独特であったことと、切り返し掛かり稽古と体当たりしか、指導しないところだと思います。また、準備体操や技・試合練習などもありません。それでいて、生徒が試合に弱いかというと、そうではなく、大きな大会で優勝したりする強さを持っていました。
先生は常々
「地力があれば、試合は自然に勝つものだ」と言い、試合のときも、特別なアドバイスはありません。「いつものように、掛かり稽古をしてきなさい」といわれるだけでした。
それで、生徒は、間合いも何も関係なく、夢中で大声を出し、相手を打って打って打ちまくり、いつも、気がつくと、審判が止めに入っていて、試合が終わるのでした。
途中で、くたびれることもあるわけですが、そのときは、相手に打ってもらって負けます。そんなとき先生は「よく頑張った」とか、最大限に褒めてくれます。ちなみに、勝ったとき、褒めてくれることはありませんでした。
指導者になってから、先生に言われました。
「負けた者は、落ち込んでいるから、引き上げてやらなくてはいけない。勝った者は、舞い上がっているから、下ろさなくてはいけない。いつも、生徒を±0の状態にしておくこと。それが指導者の役目だ。いつも±0なら、生徒は自分の個性が伸びて行く。みなが間違えるのは、指導者の個性に引っ張り過ぎることだ。」
辛い稽古のあと、先生が、よく御馳走してくれた事の意味が、このとき分かりました。
一日一時間の稽古
先生は、剣道の復活した昭和29年、竜ケ崎一高から剣道部指導を依頼されました。先生は「言う通り稽古するなら、面倒を見よう」と引き受けました。その稽古は、百二十名いた部員を、一週間で、たった七人に減らしたという、想像も出来ない激しさでした。
その後で、先生が立てた指導計画は、【着替え五分、稽古五〇分、着替え五分】という、一日一時間だけの稽古でした。校長や顧問は、もっと指導してもらいたかったのですが、しかし、実は・・・、その五〇分でも、部員には長すぎる稽古時間だったのでした・・・つづく
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