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執筆者の写真椎名市衛

剣道「武田流」2


一日一時間の稽古・・のつづき

武田先生が考えた稽古は、五〇分間の“相掛かり”でした。相掛かりとは、双方が休みなく、激しく打ち合う、掛かり稽古です。相手の竹刀を受けることは、許されません。打たれたところは、そのままにして、相手の空いている部位を打ちます。

打っては体当たり、立ち止まって、または回り込みながら、滅茶苦茶に打ち合うのです。防具外れを打つのは、当たり前で、この痛くて苦しい稽古は、一回一分間もあって、部員の誰もが、五〇分も続けるのは、不可能だと思いました。

それを、武田先生は、一緒になって掛かることで、不可能でないことを証明しました。こうして部員たちは、先生の肌身を通した指導によって、剣道の素晴らしさに触れていきました。

武田先生は、当時を回顧して、

「あの頃は、俺も死にもの狂いでやったから、稽古が終わると、疲れ切っていて、飯も食わずに、寝てしまったものだ」と述べています。

これが「武田流」稽古の一端です。“必死を覚悟して、陣頭に立つ”その武田先生に引き摺られ、部員たちは、メキメキと実力を付けていくのでした。

思い出の掛かり稽古

竜一高剣道部・昭和三十三年入学、今川勉さんの「思い出の掛かり稽古」と題した作文の抜粋です。

「当時の稽古は、熱気のある掛かり稽古の連続でした。掛かり稽古の内容は、言葉で言い現わすことのできないものであり、この鍛錬のお陰で、何事にも一生懸命、真剣にやる事や、不屈の闘志が、私にも植え付いたのだと思います。同期入部は大勢いたのですが、気が付くと、残ったのは、下手な方の五人だけでした。合宿でも、ほとんどが掛かり稽古であり、みんなで、一日百本以上の掛かり稽古にチャレンジして、競い合ったものです」

先輩方は、道場の後ろにバケツを置いて、掛かり稽古が一回終わると、小石を一個入れ、あとで数えあって、掛かり稽古の回数を競ったのでした。

専門家と愛好家の違い

当時は、これほど掛かり稽古をしても、まだまだ剣道専門家になるには、程遠いことでした。天覧試合は、専門家と一般に試合を分けています。それほど、剣道専門家の腕前は、隔絶していたのです。仕方ありません。一般人や学生は、仕事や勉強の合間に剣道するので、剣道の合間に勉強する剣道専門家には、とても歯が立たないのです。

武専生徒時代の斉村五郎十段が、毎日傷だらけで帰ってくるので、下宿屋の親爺さんが心配して、稽古を見に行ったそうです。ところが、その稽古のあまりのひどさに、

「あんな非情な仕打ちは、人間のすることではない」と、内藤高治先生に、談じこみました。すると内藤先生は、

「彼らは、人の指導者になる人間です。今、人より何十倍も、辛い思いをさせないと、立派な指導者には成れないのです」と言ったといいます。

今は、愛好家と専門家の間に、差の見えないことが、とても淋しく思います。

さて、今川さんたちの稽古の成果が、いよいよ試されます。

つづく


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