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剣道「武田流」3


掛かり稽古の成果

竜ケ崎一高剣道部の夏の合宿も、やっとのことで終わり、部員たちは、秋季剣道県大会に参加しました。昔は、応援もいません。補欠を入れて六名だけが、武田先生に引率され、バスを乗り継ぎ、会場へ向かいました。一年生の今川さんは、不屈の根性が抜擢されて、副将を任されました。

ところで、部員たちは、試合練習などしたことはありません。ドキドキして、会場で武田先生に質問します。

「先生、試合って、どんな風にすればいいですか?」

すると、先生は、

「いつもの掛かり稽古やってこい」

それだけ言ったそうです。面白いことに、部員たちは、その言葉で安心しました。

武田流の掛かり稽古は、昨今見られる、何本か打って離れるような、打ち込みに似た掛かり稽古ではありません。相掛かりで鍛えた、必死の連打です。選手たちは、立ち上がるや否や、一心不乱。精魂の続く限り、打ちまくりました。

相手は、気合いで押され、手数で押され、体当たりで押されて、手足の出しようもありません。もつれた長期戦でも、竜ケ崎一高剣道部の選手は、最後まで連打を続け、審判を呆れさせました。

 その結果、竜ケ崎一高剣道部は、なんと優勝してしまったのです。作文を書いた今川さんは、全勝です。審判長が「竜ケ崎の剣道は、昔の合戦を見ているようで、とてもよかった」と絶賛しました。

武田流の面

【実力があれば、技はいらない。実力は、掛かり稽古で着ける。】これが、武田流剣道の眼目です。部員たちは、それを信じ、武田先生に従い、見事に、掛かり稽古の実力を証明しました。

武田先生が指導した十年間、竜ケ崎一高剣道部の大会成績は、決勝進出率五十%、優勝率二十六%という、素晴らしいものでした。

もう一つ付け加えると、ある試合では、取得本数の三十二本のうち、三十本が面だったということです。あとの二本は、場外反則で勝ったものでした。

これは、武田先生が“面に始まって面に終わる”徹底した面打ちを指導したからです。対戦相手は、この、我武者羅にも見える徹底した面打ちを「武田流の面」呼び、恐れました。

真の実力

実力とは、時と場合で、増減するものではありません。段位や試合成績などの肩書にも左右されない力です。剣道の実力は、掛かり稽古でしか得られないと、戦前までの先生たちは考えていました。

北辰一刀流は、掛かり稽古だけで流派を建てました。持田盛二先生は、五十歳まで基本です。昭和の鬼才・羽賀準一先生は、我が母校・芝工大を師範でしたが、掛かり稽古の元立ちしかしませんでした。北辰一刀流の師・谷島三郎先生は、四十歳まで掛かり稽古をしました。武田先生は、六十九歳で倒れるまで、掛かり稽古をしています。

昔は、掛かり稽古を大事にした道場が、きっと皆さんの周りにも在ったでしょう。しかし今、掛かり稽古に主眼を置く道場や先生が、いったい何処にありましょうか。真の実力を持つ剣士は、何処に生まれるのでしょうか・・。

さて、武田先生は、昭和三十九年に竜ケ崎一高剣道部の指導を降りたのですが、こんどは、地元の城南中学剣道部の指導を頼まれます。そこで、私は、武田先生と邂逅するのでした。

つづく

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