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剣道武田流4(剣道日本連載中)


赤胴鈴之助と私

私は、漫画の影響で、中学の剣道部に入りました。そのころラジオでは、「赤胴鈴之助」が放送されていました。私は、父を早くに亡くしていたので、親のいない鈴之助の元気が羨ましかったのでした。

鈴之助は、道場の浅利又七郎先生を、親代わりに慕っていました。私も、武田治衛先生を親と思い、剣道を始めたのですが、それが将来、また鈴之助につながるとは、そのときは、夢にも思いませんでした。

どういうことかというと、赤胴鈴之助は、北辰一刀流祖・千葉周作がモデルでした。私は、50年後に、その北辰一刀流を継いだのです。

小学生のときに、親のない鈴之助に共感を覚え、浅利先生と周作の関係が、武田先生と自分に似ていることに驚き、北辰一刀流・谷島・青木両先生と出会い、いま、北辰一刀流に行きついたという、そのあらすじには、不思議な剣縁に導かれているとさえ感じるのです。

そのことから思うに、恐らく、剣道をする全ての人は、過去の剣士たちに、剣縁があって選ばれているのではないかということです。剣道をする人たちには、他の武道の人たちと違った意識があるように思えるからです。

私たちは、流祖たちが、死に物狂いで得た、剣の神髄を絶やさないように、お互いに協力して、剣道を盛り上げていく、使命があるのではないでしょうか。

さて、武田流の話に戻りましょう。


子どもに尊敬される人

中学の剣道部に入って、初めて、武田先生に出会った日のことです。先生は、農業をされていたので、中学生たちは、週一回土曜日に、先生宅の庭で、稽古を頂いていました。(土曜が午前中授業の頃です)その日は、新入部員も、ようやく素振りが出来るようになって、参加が許されたのでした。

今にも降り出しそうな空模様でした。私は、自転車を先生宅の垣根の前に並べて、庭に入りながら、

「雨が降りそうだから、早く終わんないかな・・」とつぶやきました。

私は、町の反対側から来たので、遠い道のりを、濡れて帰りたくなかったのです。

するとどうでしょう、着替えていた三年生が全員、ドドドッと駆け寄ってきて、私を取り囲んだではありませんか。

(えっ、いったい何がどうしたんだ?)私は、動揺しました。それは、三年生たちが、とても焦った顔をしていたからです。三年生たちは、私を庭の隅につれていき、口々に言います。

「お前、なに言ってんだ!」

「先生に聞こえたら、どうすんだ!」

「稽古止めになっちゃうよ!」

「先生は、俺たちのために、稽古してくれてんだぞ!」

私は、三年生たちの怒ったような勢いが怖くなって、下を向いて泣きそうになりました。

中学生になったばかりの私は、小学生時代の、わがままな気持ちが抜けきらなかったため、思ったことを、何も考えず口にしていたのでした。そのわがままな心に、三年生たちの、先生を思う真剣な気持ちが伝わって来ます。それは、私が、いままで持ったことのない感情のようでした。

うな垂れている私に、一人の三年生が優しく声を掛けました。

つづく

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